2018年8月2日

イルクーツク市からサンクトペテルブルク、モスクワへ

イルクーツク市議会との意見交換は、イルクーツク側から議長をはじめ5人の議員、議会職員1名。金沢から黒沢団長はじめ7名。議会事務局の宮本局長の計8名。

頂いたご意見として、金沢訪問の際に受けたあたたかな歓迎は、今も忘れない。姉妹都市交流において、それぞれの市の作家さんの作品の相互翻訳の試みをしては如何か。学生の交流の活発化の推進。経済的、政治的に進んでいる日本のように進化させたい。市役所や議員の仕事ぶりが知りたい、といったものがあった。

なかでも、校長先生のお仕事もされている議員さんのアントニーナさんが、日本ロシアの相互交流をより活発化させるために、観光ビザの取得の簡易化を、双方の議員で進めるべきだ、とのご意見はもっともで 、もちろん国レベルの協議の場で決められることであるが、それに向けて声を上げる必要性については、金沢市議団も共感した。

また、私のような無所属議員が存在していることも知り、ロシアの民主化の波を感じることが出来た。

イルクーツク体操協会の訪問のあと、バイカル友好協会に訪問し、4つに分かれた博物館のうち、日本についての展示物も多くある1つの博物館を見学させていただいた。昨日のティピではないが、原住民の骨が発掘され、DNA鑑定の結果、日本人、北アメリカのネイティブアメリカンと共通の人であることが判明。10数年前に読んだネイティブアメリカンの口承伝「一万年の旅路」の真実性をここ、ロシアの地で確信した。

館長さんは、イルクーツク市の職員さん兼バイカル協会会長さんで、イルクーツク市のことについても詳しくご説明いただいた。金沢市とイルクーツク市の面白い共通点は、国内一やすい電気料金。ともに10%水力発電で賄っているということ。水力発電所でもユニークな工夫がいっぱいあるから、次回訪問の際は、こちらも足を運ぶように言われた。金沢市議員団も身を乗り出して頷いていた。

その夜、サンクトペテルブルクへ。イルクーツクとの時差は5時間。昼を追いかけて西へ向かった。(昼を追いかけて、は中川議員の表現)

サンクトペテルブルクは、街全体が世界遺産に登録されるだけあって、どこを撮っても絵になる。人口500万人。ロシア第2の敏で、かつての首都。日本の姉妹都市は大阪市。空港から市内中心部へ向かう12キロに及ぶっますぐの道は路面電車が走る。料金40ルーブル(約80円)でどこまでも行ける。景観について、建物は23.5mの高さ制限があり、戦時中破壊されたものの修繕や、リフォームの際は、元の形や外観にこだわって再建される。18世紀からの町並みはこうやって守られている。世界有数の美術館であるエルミタージュ美術館は、歴史的建造物を利用している。戦乱の世の後、洋の東西を問わず多くの人々が訪れる様子は、金沢市の兼六園ではないが、そこに、人々の心をとらえるものがあることを伺わせる。駆け足の訪問で、芸術を満喫とまではいかないが、ガイドのアレクサンドルさんのおかげで、宗教画を見るコツを教えていただいた。

美術館訪問の前に、日本センターを訪問。日本センターは、ソ連崩壊後のロシアの市場経済の迅速な移行を支援するために、1994年、日ロ政府間の合意のもと、外務省により発足した組織。スタッフの中村彌生さんにその活動の様子を教えていただいた。隣の建物にある、JETROとも密に連絡を取りながら主に、経済関係強化のための研修やセミナーの開催、ロシアのビジネス関係者への日本語講座の実施(無料)、日ロ双方の企業に対するビジネスマッチング等を行っている。ロシア国内にはモスクワをはじめ6箇所あるとのこと。いくつかの質疑があったが、ここでも、ビザの取得の簡易化、簡略化が話題となる。もちろん国レベルの協議がないと進まない話だが、地方議会レベル、民間レベルでも活発な議論が望まれる。

また、道路ではとにかく日本車を多く見かける。日本車の技術的信頼がベースになっているせいだと思われるが、日本をいろいろな形で売り込むチャンスは、ここロシアでは溢れている。

双方を近づけるには、まず好きになることからだ、とかつて詩人が言ったが、そのためにも、相互の学び、交流の活発化を図って行きたい。