コロナ禍で求められるもの、そこからどう展開するか

新しい生活様式。3密を避け、手、指の消毒。日々の検温。そして、何よりもソーシャルディスタンスの確保。最初、この基本が示されたときに感じたことは、日本も欧米並みにゆったりスペースで、ってことやね、ということでした。よく、いろいろなスペースのとり方で日本は狭い、とか、日本人の家をウサギ小屋、といった表現がありますが、それらを転換するチャンスでは、と思いました。

しかし、現実的に事態の状況から、また、経済の停滞から、そんな簡単に物事が進むわけもなく(むしろ日本は狭いスペースをフル活用することで経済効率を上げてきた。つまり、現実的には逆に相当なダメージを受けているのです)、精神的、肉体的に知らず識らずのうちに大きなストレスを溜め込んでいきました。

新型コロナウイルスは、武漢市で発生してから、すでに何度も変異を繰り返しています。変異を繰り返すごとに特徴が変わり、感染のしやすさ、重症化リスクも変わっています。しかし、冒頭に示した新しい生活様式は、基本として変わらないことが言われています。徐々に、感染ニュースにも慣れ、恐怖や様々な感情も麻痺しているようにも感じられます。そんなとき、果たして僕たちに求められているものは一体何なのでしょうか。この一年間、ぼんやりと、いろいろなことを考えてきました。正しいかどうかは別として、自分が思うことは、繊細さです。

職人技と呼ばれるものは、その数え切れない作業の繰り返しから生み出された洗練された美しい裁き方です。そして、その洗練された手付きには繊細さが伴っています。絶妙の感覚。絶妙の距離感、絶妙の間合い。生で、その手付きを見ることができれば、その美しさにため息をつくほどうっとりしてしまうことと思います。

翻って、現実的に、世を席巻する新型コロナウイルスとの絶妙の間合いで付き合って生きること。それは、新しい生活様式をベースに、洗練された感覚でうまく付き合って生きていくことではないかと思われます。どれだけ、ウイルスが市中にあっても、感染しない繊細なセンスを身につけること。それが、求められているように思われます。その繊細さを身につけることができれば、新たな文化の境地も切り開くことができるような気がします。雨降って地固まるではありませんが、コロナ禍は、僕たちにより繊細に生きること、また、より繊細に表現することを求めているような気がしてなりません。気づかぬうちに新しい文化のヴァージョンアップの階段を僕たちは、既に登り始めているのです。百万石まつりの中止が決定されましたが、諦めることなく令和のルネッサンスの花を咲かせましょう!