コロナ禍の若者の気持ち

6月9日の毎日新聞の特集ワイドの欄は、国語学者 金田一秀穂先生の「コロナ対策が心に響かない理由」という記事でした。

冒頭から、ショックな先生のお言葉。

「コロナの社会において、言葉が果たせる役割は終わったのではないでしょうか」

「人流なんて言葉はこれまで聞いたことがありませんでした。コロナの世界では、標語のような新しく未熟な言葉が次々と出てくる。テレビも新聞もそれをオウムのように繰り返す。同じ言葉を反復しても高圧的と受け取られ、人の感情には届かず上滑りしてしまいます」

そして、永井荷風の「断腸亭日乗」という日記から、戦時下の日常をみて、『鬼畜米英』『贅沢は敵だ』と声高に叫ばれていたが誰も心からそう思っていない。今の状況も同じで、人流抑制と言われても(人々は)淡々と日常を過ごしている。

そのように捉えています。さらに、

言葉はコミュニケーションの道具で、価値ある情報を伝えることができるが、さらに重要な役割がある。「言葉を交わす。人はそれだけで心を通わせ、他者と関係を確かめ合うことができる。そこに価値があるので、極端に言えば内容や意味などなくてもいいんです」

「デートに出かけるのは不要不急で、恋人同士の会話も無駄と思われるかもしれない。でも、その人にとってはその時間が一番大切な場合がある。つながりを保つという意味で無駄話は人生を豊かにします。必要なことしか話さなくなると、失うものはあまりに大きい」

そして、今年に入り、緊急事態宣言が出ていなかった時期はわずかな東京をあげて、10代の女性シンガーAdoさんが歌う「うっせぇわ」に共感を寄せられました。

「うっせぇわ」をYoutubeで検索して聴いてみると、なんと、既に再生回数1億5千万超え。ものの見事に若者の声を代弁していました。

金田一先生は、この歌を例に取り、音楽の保つ力に触れられました。

若者の持つエナジー、パッション、それらの共有、共感には、音楽はなくてはならないものではないか、と自分自身も改めて感じました。

そして、時代のキーワードにもなっていた「うっせぇわ」もこれを機に初めて知った自分の世界の狭さに愕然としました。

金田一先生の言葉から、自分も、心に届く言葉とは何か、について、常に思いを巡らし、発言していかねばならないと感じた次第です。

皆様のご意見をお寄せください。