2015年10月24日

日韓・韓日親善友好の集い・in ソウル

20日の教育消防常任委員会を終えた午後2時過ぎより、私と同じ新人議員の松井隆さんと小松空港から羽田経由で韓国はソウルの金浦空港へと向かった。日韓国交正常化50週年を記念して開かれる式典に参加するために。市議会議員になると、国際交流のいくつもの議員連盟へのお誘いがやってくるのです!!なるほど、各地域、各国ごとの議員間の交流も世界の平和に貢献する大切な役割。そう思って、ほぼすべての会に参加しています。今回のソウル行きは、金沢で開催された稲村建男県議が代表を務める石川県日韓親善協会の45周年記念行事の際、東京の中央会事務局の石井さんが読み上げた、交流を目的に日本にやって来た韓国高校生の感想文に感銘を受けたから。短くまとめると日本人、日本の高校生に日本に来て直接会って触れ合う機会を得た前と後とでは日本や日本人に対するイメージ、感じ方がガラリと変わってしまった、という内容。真の交流のためには直接行って、直接会って、直接話してみないとわからない、そう思って50週年の節目に議員であることに感謝の心で、今回のソウル行きを決意しました。

1200名が集う式典は開場前からものすごい熱気。始まる前からどうなってしまうのか!?そんなことを考えながら、私と松井議員はハングルで書かれた金沢市の地図を挟み込んだ金沢市のガイドブックをお一人お一人に挨拶をしながら手渡した。今話題になっている政務活動費を使ってやって来ているので、金沢市政にどれだけ貢献できるかも私達二人にとっては重要なポイントなのです。どの方も気持ちよく受け取ってくださり、中には来月行きます、あるいは7回日本に行ったことがあるけど、金沢は知らない、何処ですか?どんな町ですか?という質問も。とっさに、日本で一番美人が多く、食べ物が美味しい町です!今は新幹線が開業したため国内からも多くの人が訪れていますと答えた。

式典は、朴槿恵大統領、安倍総理のビデオレターから始まり、各国議員連盟の代表、民団代表の挨拶、何人かの来賓の挨拶と続いた。その中で最も印象的だったのは小沢一郎生活の党代表の挨拶。50週年記念式典ということもあって、そのスパンでの話が多い中で、小沢代表は古代朝鮮半島と日本列島では通訳無しで話ができたという話から始まり、ここにお集まりのお一人お一人のこれから(の行動)に日韓・韓日の平和がかかっています、という行は言葉に魂を載せて届けている感がして圧倒された。司会は南美希子アナと超新星のユナクさん。オープニングの音楽の数々。右も左もわからぬままの参加だったけれど、松井議員も来てよかったを連発。全国植樹祭のタイミングではないけれど、本当に今年、議員になることができてよかった、と思えるひとときでした。第2部は歌と懇親会。このタイミングは皆さん、藤あや子さんや超新星さん、キム・ヨンジさんなどの歌やお料理に夢中で金沢ガイドブックはまったく配布の余地なし。開会前と中間入れ替え時に本日持参分配布しきれてよかったと心の中でつぶやいた。

その夜は、韓国にある白山会のメンバー4名が初韓国の私達二人を夕食に招待してくださった。白山会は石川県に10ヶ月間、職業訓練に来られた方々が作られた会で今でも日本、石川と交流を続けてくださっています。(総勢190名)会長の呉さんが乾杯の発生の際「子どもたち、孫達の代、そしてずっとこの友好が永遠に続くことを祈念して乾杯!」という言葉に胸が熱くなった。やっぱり来てよかったと染み染み。

韓国の少子化問題、ソウルの交通渋滞問題、中国、北朝鮮の問題、日韓のこれから、韓国の選挙の実態(低投票率)など多岐にわたる話、あるいは、私達に議員になる勇気は何処から来たの、辛いの大丈夫、記念式典の様子は、などいろいろ聞かれ、ざっくばらんにお話ができたことは大きな大きな収穫でした。

焼肉屋さんのあとに、サラリーマンの皆さんが仕事後に寄る屋台的な飲み屋さんへ。酔いが回ってきたのかもっとざっくばらんなお話に。けれど、テント式のそのオープンなお店はなんと日中は駐車場として営業し、夜は居酒屋。博多の屋台の雰囲気にも通じるあたり、やっぱり日本と韓国はつながっているなあと実感。

翌日は世界遺産の昌徳宮を目指して歩き、左右に伸びるイベントのブースの皆さんに、金沢ガイドブックを配りまくった。(長いメインストリートでは4つの大きなイベントが開催されていた)配っているうちに、話すきっかけになり、ささやかな会話ではあるが交流が進んだ。今まで、そんな旅はしたことがなかったが、土地の人と仲良くなるにはもってこいの作戦だな、と感じた。

夕方からは、韓日親善協会の返礼交流会。ホテルから会場へは地下鉄を乗り継ぐ(私、都市交通特別委員会なのです!)そこで、なんと故力道山さんの奥様がいらっしゃり、国交正常化のためにいろいろとご尽力されていたお話や出会ってプロポーズされたときに「俺、(朝鮮)半島の生まれだけどいいのか?」と聞かれ「あなたは、あなたですから」と答えられたお話、もし、彼が生きていたら拉致問題も起きなかったかも、というお話。戦後の日本人を元気づけるためプロレスは政府がバックアップしていたというお話。とにかく力動山さんのあのオーラは、魂から平和を願いその実現のための思いがあふれたものだと知り泣きそうになりました。

翌朝、ホテルから空港へと向かう車内のガイドさんは3年間東京で留学した際、日本語を学ばれたとのこと。3泊4日の滞在は、言葉に慣れるには短すぎるが実に濃い内容の時間でした。石川県日韓親善協会の事務局中村さんをはじめ、稲村建男会長、白山会の皆様、お世話になった皆様のおかげで充実した時間を過ごすことができました。ありがとうございました。この経験をしっかり活かしてまいります。

ちなみに、道中は中公新書の大沼保昭氏の著書「歴史認識」とは何か〜対立の構図を超えて〜(インタビュアー江川紹子)を携行。冷静な視点からの指摘は、こちらも大変勉強になりました。