2021年6月28日

デジタル化社会のプライバシーについて

雑誌、都市問題の6月号に、南山大学の阪本俊生教授が、日本社会の「プライバシー」観と「個人情報」観という特集記事を書かれています。

その内容が、非常に分かりやすくまとまっているので、要約したいと思います。

プライバシーという言葉は、20世紀の初頭、欧米から伝わった概念ですが、当初から日本社会になじまないのでは、といった議論がなされ、定義の曖昧さから、幾度かの和訳の試みにもかかわらず、そのまま表記されるに至っています。

近代以前の封建社会では、人びとの社会的自己は、身分、階級、家柄、性別、出生順などで生まれた時から定められ、制度的に固定され、動きようがありませんでした。ムラ社会でも、個人が何者かは疑いようもなく他人から認識され把握されてきました。

このような社会では、個人の社会的自己は良くも悪くも盤石でした。

ところが近代になり、故郷を離れ都市へ移住した人々は、自由になるとともに、社会的自己を自分でつくり、他人にそれを認めさせ、かつ維持し続ける必要性が生じました。

そして、それらはすべて「他人のまなざし」にかかっていたのです。

個々人の社会的自己の壊れやすさ、揺らぎやすさに対応するかたちでプライバシー意識が生まれ、次第にその保護が社会的にも求められるようになりました。

20世紀初め、アメリカでは、都市に移り住む若者が、一定の信用とアイデンティティを得るための手段として広がったのが、運転免許証の取得でした。(運転するしないにかかわらず!)

都会で親元を離れプライバシーを楽しむ生活を謳歌するために、様々な個人情報を提供し免許証を取得する。この枠組では、個人情報の提供はプライバシーを得るためのコストとして考えられました。

都会での移住で弱まった社会的自己を補強し、自由を手に入れるために個人情報を提供する同種のものは、クレジットカードも世界に通用するポータブル信用と言えます。

そして、20世紀後半からのコンピューターを用いた情報化社会の到来から、それによるプライバシーの侵害が危惧されるようになりました。

現在、これらの議論の基本に考えられるのが、EUの一般データ保護規則(GDPR)です。しかし、日本の個人情報保護法は、その観点からも大きく後退しています。

今後、個人情報保護法が、国民の理解と納得が得られるかたちで整備されることが重要です。

また、個人の社会的自己の規定のされ方が、封建社会の身分制から、人びとの互いのまなざし、そして、個人情報管理へと移行してきましたが、そのこと自体を監視社会化として問題とすることよりも、運用がいかに行われるかという政治的視点が重要になります。

以上が、阪本先生の記事の要約です。

先の国会で、個人情報保護法が改正され、各省庁ごとの個人情報保護に関する取り決めや、各自治体での取り決め、学術機関や民間での取り扱いに関して一元化が図られました。

個人情報保護委員会が一元化を担うわけですが、個人情報保護と、データ流通の両立を適切に行うこと、また先に取り上げたEUの一般データ保護規則(GDPR)との整合性などが基本的な課題となります。

人口減少が顕著になってきた中、デジタル化で効率化を図る際、このプライバシーの問題についてもしっかり注視していく必要性を感じています。

皆様のご意見をお寄せください。